殿帥府太尉

高俅


 元は開封東京追放者の賭け蹴毬の達人、見事なまでの蹴毬のうまさから人は高二と呼ばず高毬と呼び、のちに俅と名を改める。仕事などせず、いつも街をぶらつき悪仲間とつるんでいた為、人々から嫌われ恐れられていた。
 そんな折、教頭王昇にひどく痛めつけられ、開封から所払いとされる。その後の恩赦で再び開封へと舞い戻ってきた後は、主を次々と変えつつもトントンと出世の道を歩んだ。
 蹴毬だけでなく文武から芸術にと才能豊かであった為、幸運にも端王(後の徽宗皇帝)の屋敷を訪れたとき、ふと転がってきた毬を蹴り返したのが端王の目にとまり、宋朝廷禁軍の大将とまでカケ上がった。
 我が権力をカサに威をふるい、昔の恨みを王昇の息子である王進にぶつけ、養子高衙内の為に林冲を迫害、復職希望の楊志を賄賂が少ないと退けた。
 高唐州の知事でいとこの高廉を殺され、勢力を増す梁山泊に対して名将呼延灼を討伐に派遣したが失敗におわる。ついには童貫が大軍を率いて梁山泊討伐に向うが失敗する。  童貫の討伐失敗を揉み消すと、自らが討伐軍を率いて出陣。十路の節度使、王煥徐京王文徳梅展韓存保荊忠李従吉項元鎮張開楊温に加え、配下の牙将から党世雄党世英を都統制に抜擢し、大軍を率いて討伐に挑むが失敗、三度の戦いで多くの死者をだし自らも捕虜となる。釈放の時に招安を約束し、蕭譲楽和を同行されるが、屋敷な軟禁して招安の約束を反故にする。
 招安を受けた梁山泊軍が遼国討伐、方臘討伐を成功させた宋江盧俊義に高い官職が授かったのを良く思わず、楊戩と計って二人を毒殺する。真相を知った徽宗皇帝から事件について追求されたが、うまくごまかした。

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