
楡柳荘に戻った費保は、李俊に大船で海へ乗り出し安楽な土地を探して暮らそうともちかけた。李俊は宋江に義理があるので、方臘の乱を平定したら再び訪れる事を約束し、費保達と別れた。
李俊は宋江の隊へもどり、秀州へと兵を進めた。秀州は段愷が守備していたが、方貌戦死と聞き、降参して城を明け渡し、杭州城を治める方天定、守備する鄧元覚、石宝、厲天閏、司行方の情報を提供した。張招討に報告すると投降を認め、段愷は蘇州を守ることとなり、秀州は劉光世が守備することとなった。
杭州を前にし、今後強敵が次々現れると予測し、柴進は変装し名を偽って方臘内部に潜入しようと考えた。燕青を同行させたいと望んでいるところ、折よく盧俊義隊の戦況報告に燕青がやってきたので、柴進に従い二人は宋江の隊を離れて別行動となった。
盧俊義隊は宣州を奪い取ってから、続いて湖州を攻め落とした。湖州は呼延灼に守備させて、独松関を攻める林冲の隊へ加勢に行くところだった。
杭州城の南には銭塘江が流れ、西には湖がある。まず南へ向かう水軍には張横、阮小七、侯健、段景住が選ばれた。
出陣の準備を整えたとき、東京から使者が来て宋江に告げる。皇帝が小疾を患っているので、安道全に診てもらいたいとの事。断る訳にもいかず、不安になりながらも指示に従い、安道全を東京へと送り出した。
杭州城では、方天定と鄧元覚が城の守備につき、石宝、厲天閏、司行方の元帥三人が副将と三万の兵を従えて出陣していた。
宋江隊の前に現れたのは石宝の軍勢。花栄は矢で王仁を討ち取り、秦明は鳳儀を討ち取りると、石宝は支えきれず城へ退却した。
敵に動きがなく、しばらく二組で偵察を続けていたある日、徐寧と郝思文が不意に城門に潜んでいた敵に急襲され、伏兵に襲われた。徐寧は必死で退路を開いたが、郝思文は敵に捕えられてしまう。徐寧は助けに戻ろうとしたところ、首に毒矢を受けた。後方で待機していた関勝に助けられたものの、安道全不在では助かるはずもない。捕虜となった郝思文は処刑されていた。
杭州城の西側では西湖から攻める水軍、李俊と張順が、幾日も敵の動きがない状態の打開策として張順はひとり湖から城内に入り火を放つのを合図に攻める作戦を決行していた。
水中で夜の更けるのをまち、西側の水門のひとつ、湧金門を狙った。だが城壁をよじのぼろうとしたところで、守備兵に気づかれる。水中へ逃れたものの、硬弓を射られ、大石や槍を落とされては水泳の達人とはいえ逃れるすべはなく、水中にて無念の戦死をとげた。
その夜、李俊から水門奇襲の連絡を受けていた宋江の夢に張順が現れ、後ろにも誰か三、四人血まみれで立っていた。不安になって呉用と相談したがどうする事もできず、朝を待った。
しばらくして李俊から知らせがはいり、張順が戦死したとの報告が届いた。宋江は張順の死を悲しみ、僧侶を呼んで供養を行うために、戴宗とわずかな兵を率いて密かに西の湧金門へ向かった。
しかし、方天定に動きを察知され、敵兵に襲われてしまう。
