物語 第九十三回

蘇州水軍戦


<前解説目次次>

 無錫県へ退いた呂師嚢は、蘇州からの援軍、衛忠率いる一万の兵と合流し、常州奪還を計ろうとしたが、梁山泊軍の速い攻めに勢いによって陣を布く間もなく、総崩れとなった。関勝は城を奪い取ると宋江に報告。宋江の隊は常州守備を張招討に依頼し、無錫県に入った。
 呂師嚢は衛忠と許定の敗軍と合流し蘇州へと退いた。蘇州を統治する方貌の指揮下には武芸優れる八人の将軍がいて八驃騎と呼ばれていた。無錫県を奪還すべく、呂師嚢を先鋒隊とし、自らも八驃騎を率い出陣。梁山泊軍との戦いに挑んだ。

 徐寧が呂師嚢と戦い、これを討ち取ると、李逵達の歩軍が大暴れし先鋒隊を蹴散らした。方貌の本隊が到着すると、陣を布き対峙する。宋江と方貌はそれぞれ八人の将軍を出して八組での一騎打ちで戦おうと言うと、関勝、花栄、徐寧、秦明、朱仝、黄信、孫立、郝思文が方貌配下の八驃騎と戦った。
 八組の激しい一騎打ちの結果、朱仝が苟正を討ち取った事により、その日の戦いを終えた。篭城の構えをとる方貌に対して、南側は太湖に接しているので、水軍を使って攻めようと考えたところ、折よく李俊が江陰と太倉を落としたと戦況報告にやってきた。

 李俊の代わりに李応が、孔兄弟、施恩、杜興を従えて、水軍の応援となり、童兄弟を李俊の手助けするよう呼び寄せられた。準備が整うと李俊と童兄弟は太湖に船をだした。
 李俊は魚を買うふりをして漁師から情報を得ようとしたが、漁師達の頭分らしき四人に怪しまれ、捕われの身となった。李俊は殺される事も恐れない潔い態度を見せたため、名を聞かれ正直に名乗ると、梁山泊の好漢と知って、四人の漁師は無礼を詫びた。
 土地の名を楡柳荘といい、仕切っている四人の名は費保、倪雲、上青、狄成と言う。

 七人は義兄弟となる契りをかわし、蘇州城を落とす策はないかと相談した。数日して杭州からの輸送船を見つけ襲撃、李俊は費保たちの力を借りて船を奪い取る事に成功。船は方天定の命令で蘇州へ物資を 届けるところだった。
 李俊は宋江のところへ戻り蘇州を攻めについて協議した。呉用から指示を受けた李俊は、李逵、鮑旭、項充、李袞を従えて楡柳荘へ戻り、戴宗と凌振も後から合流。費保達の協力を得て、杭州からの輸送船を装い蘇州入城に成功。船に潜んでいた李逵達が暴れ出し、凌振が合図を放った。

 砲に驚いた方貌は南方目指して逃げ出したが、魯智深に攻められ、武松に斬られて戦死。徐方と甄誠を生け捕り、張威、昌威、鄔福は戦死。宣賛が郭世広と相討ちとなり飲馬橋の下で戦死していた。蘇州城を奪いとった事を張招討に報告、生け捕りとなったものは処刑された。
 蘇州城を失ったと知った方臘軍は海沿いの県城を放棄し逃げ去った。その守備には張招討の配下があたり、水軍頭領たちは蘇州で合流する事となった。だが、施恩と孔亮が溺死していた。
 費保は官爵を願わず、宋江に別れを告げて楡柳荘へ戻り、李俊と童兄弟が送って行った。


<前解説目次次>