物語 第八十三話

遼国討伐へ


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 招安によって官軍となった梁山泊軍だが、童貫は気に入らず難癖をつけ処罰しようとしたが、宿元景が真実をつげ、童貫たちの悪巧みをあばいた。宋国の北地を国境を脅かしている遼国に対して、蔡京、高俅は皇帝に伝えずに、もみ消していた。そこで梁山泊軍を遼国討伐に向けてはどうかと進言した。皇帝は宋江を破遼都先鋒、盧俊義を副先鋒に任命した。
 宋江達には宿元景より遼国討伐が伝えられた。宋江は軍師と協議し、林冲たち梁山泊当初の人物をつれ、一度梁山へもどる許しを得た。他の者は盧俊義と開封に残った。梁山泊では家を壊し不要な船を始末し、それぞれの家族を故郷へと戻し、晁蓋の位牌を灰にし、山門や寨を焼き払った。

 開封へ戻った宋江は皇帝の前で言葉をかけられた。盧俊義と合流し、五虎将、八驃騎を先頭に隊列を組んで北へと進み、水軍は水路を使って船を進めた。
 陳橋駅で皇帝からねぎらいの品々が皆に配られた。だが、悪い役人がいて恩賜の品々を横取りした。さらに罵られた事に腹を立てたひとりの兵士が怒って役人を斬り殺した。項充と李袞の配下で団牌を使う兵士だった。宋江は呉用と相談して、戴宗と燕青に命じて宿元景に報告し、皇帝へ真実を告げてもらう事にした。  兵士は後悔はしておらず、ただ処罰を望んだ。宋江は涙を流し兵士に好きなだけ酒を飲ませ酔わせて、刎ねた首をさらして詫びた。知らせを受けた宿元景はすぐに皇帝へ報告した。
 翌日、皇帝に役人を殺した一件が報告された。梁山泊軍へきつい処罰を望む者がいたが、真実を知る皇帝は激しく怒って怒鳴りつけたため、それ以上罰を望む者はいなかった。

 梁山泊軍は遼国征伐のため北へと軍を進め、数日して国境付近までやってきた。北地に詳しい段景住の情報から、檀州を攻める事となった。檀州には川が流れているので船を前進させるよう李俊に命じた。
 檀州城は遼国の文官、洞仙侍郎が武勇優れる四人の上将と守備していた。梁山泊軍が攻めてくると知ると、密雲県へ阿里奇、楚明玉の二人を出陣させた。
 密雲県と到着した梁山泊先発軍の前に、上将のひとり阿里奇が現われた。対するは徐寧、互いに武器をふるって戦うが徐寧不利、花栄と張清が後ろから援護する。張清は得意のつぶてを阿里奇の顔面めがけて投げると、見事に命中し阿里奇は落馬し捕虜となった。一斉に林冲・秦明・花栄・索超が飛び出すと、楚明玉は檀州城へと退却した。

 梁山泊軍は密雲県を落とすと檀州を目指しすすみ、檀州城を包囲した。阿里奇が戦死したと聞き、洞仙侍郎は梁山泊軍を恐れて城門を固く閉ざし援軍を待つことにした。知らせを受けた遼王耶律輝は梁山泊軍が檀州を攻めた聞き、ふたりの甥を救援に向わせた。兄は耶律国珍、弟の耶律国宝、一万の兵を率いて檀州をめざした。数日して檀州に到着した二人の大将は梁山泊軍の前に同じ装いで現われた。
 遼国の援軍に対して呉用は、関勝、林冲、董平、張清と五千の兵を向わせた。まず董平が進みでると、遼側から耶律国珍が進み出て戦いはじめた。互いに槍を得意とするが、董平の双鎗の技が勝り、耶律国珍を討ちとった。救いだそうとした耶律国宝も張清のつぶてを顔に受け落馬して戦死。関勝と林冲は遼兵を追い散らした。

 洞仙侍郎は耶律国珍と耶律国宝が戦死し援軍も失った事を聞き、さらに城の守りを強化したその夜、偵察から敵の兵糧船が水路で迷っていると聞いた洞仙侍郎、敵兵糧を奪い取れば戦に勝てると、楚明玉・曹明済・咬児惟康に敵の兵糧奪い取るように命じた。
 梁山泊軍は、関勝・林冲は西北から、呼延灼と董平は東北から、盧俊義も一隊を率いて西南、宋江の中軍は東南から城を攻める手筈を整えると、李逵たち歩軍五人組が一千の兵を従え城門を攻めた。遼国側は咬児惟康が一千の兵を率いて戦った。
 楚明玉と曹明済は水門を開き、敵船を奪いとろうとしたが、凌振の号砲を合図に、隠れていた李俊達水軍が大暴れをはじめた。戦意を失った楚明玉・曹明済は船をすて陸へ上がり薊州へと退却した。
 水門を奪われ、四方からの激しい攻撃を前に、洞仙侍郎と咬児惟康は退却するしかなく、兵をまとめて薊州をめざした。


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