
呉用の計略によって落とし穴に落ち、捕らえられた索超に対して、宋江自ら索超の縄を解き、義のためともに戦おうと仲間入りを勧めた。北京にて顏味顔見知りであった楊志も仲間入りを勧めるので、索超は二人の言葉に心うたれ仲間入りする事を約束した。
索超とともに出陣した兵士のうち、逃げのびた兵から索超が捕らえられたと報告を受けた梁中書は、あらためて梁山泊軍の恐ろしさを感じ、李成・聞達に命じて城門を固く閉ざし、城の守りを固めさせた。
数日間、北京城を攻めたが攻略する事はできなかった。宋江は北京城がなかなか落とせずにいたので、盧俊義と石秀の身が心配でならなかった。
ある日、宋江は一人うとうとしていると、夢に晁蓋が現れ、しきりに梁山泊に戻る様訴えている。詳しく聞こうとしたが、百日以内に災いが起きる、江南の地霊星でないと治せない、とだ言うとすぐに晁蓋の姿は消えてしまい、はっと夢から覚めた。相談をうけた呉用は、やはり寒冷時期の戦争は厳しいとして一時退却の選択肢もあると判断したが、宋江は盧俊義と石秀の救出を一番に考え、退く決断が出せなかった。
翌日、急に宋江は起き上がる事もできないほどの病気になった。背中が焼けるように熱く感じたので、見てみると大きな腫れものが出来ていた。呉用は命にかかわるとして、医者を呼び薬を調合し看病したが、一向に良くならない。皆が心配して見舞いに訪れた。
原因は腫れものと聞き、張順は以前母親が似た様な病気になったとき、治してもらった名医が建康府いるので呼び寄せようと言った。人々から神医とよばれているほどの人物、名を安道全と言う。呉用は、晁蓋の御告げの中で、江南の地霊星でないと治せないと、言ったのを思い出し、張順に大金を持たせ医者を迎えに行かせる事にした。
宋江が病気となっては全軍に一時退却命令を出すしかなかった。つぎつぎと陣を引き払い梁山泊向けて出発した。一方北京城には、梁山泊軍が次々に陣をひきはらい退却していくと、様子を探っていた兵士からの知らせが届いていたが、梁中書は、また敵の策略だろうと疑念をいだき、李成と聞達も呉用の策略には注意をはらっていたので、城から撃ってでる事はしなかった。おかげで梁山泊軍は敵の追い討ちを受ける事なく、無事梁山泊へと帰還できた。
だが、宋江の病状はひどくなる一方であった。
建康府へと向かった張順。数日してやっと揚子江にたどり着いた。江を渡れば建康府はすぐ。張順は一艘の渡し船を見つけると近寄り、乗っていた二人の男に向こう岸へ渡してもらう様に頼み、乗せてもらった。
張順を乗せた船頭は、夜更けで急いでも泊まる所はないだろうと、親切に渡っている間に船で寝る様すすめ飯を出す。長旅で疲れていた張順は疑う余裕もなく、つい横になってしまった。
しばらくして目を覚ました張順。船は江へと漕ぎ出しているが、手足の自由がきかない。船頭は張順が金を持っていると知り、寝ているすきに手足を縛り、今にも命を奪いとろうとぎらりと光る刀を船の中から取り出した。
張順はどうせ死ぬなら、せめてこのまま水の中に落としてくれと頼むと、船頭は言うとおり張順を江へと突き落とした。船頭は張順を荷物の中にある大金に目がくらみ、分け前を与えるのが惜しくなり、もう一人の男を斬り殺した。
水中へと落とされたが潯陽江のほとりで育った張順、なんなく川底で縄を噛み切り、対岸へと泳ぎついた。そこには一軒の酒屋があったので、中へ入ると一人の老人がいて、揚子江の船頭に金を奪われ水中に落とされたと話すと、親切にしてくれた。
老人は梁山泊に好意を抱いていたので、張順は宋江の病を治してもらうため、医者を迎えに来たのだと話すと、以前から梁山泊の好漢達の噂を聞いていた老人は、息子を張順に紹介した。名を王定六といい、走るのが早い事から活閃婆と呼ばれていた。
王定六も張順達の噂は聞いていたので、互いに挨拶を交わす。張順を襲った二人は、おそらく張旺と孫五だろうから、ここで待ち受けて捕まえようと相談しだが、張順は安道全を連れ帰るのが先決だとして、金を借りるとひとり建康府へ向かった。
安道全の自宅を訪れた張順は、これまでの出来事を話し、宋江の背中の腫れものを治すために梁山泊へ来てもらいたいと願い出た。忠義の人と噂されている宋江のために診察に行きたいが、梁山泊は遠地であり、他にも患者がいるのだと安道全は断った。だが実は安道全にはおかかえの妓女がいて、とてもかわいがっていたので離れたくないのであった。
張順も後にはひかず、断固として独りでは帰らないと言う。これには安道全もおれ、しかたなく翌朝出発することを承諾し、薬の準備を行った。
その夜、安道全は妓女のもとへと行き、張順も供をした。女の名は李巧奴と言い、とても美しく多くの男を惑わせていた。
安道全が山東へ仕事に行くのでしばらく会う事ができないと言うと、李巧奴は行かないでくれと甘えた声で引き止める。安道全も困りはてたが、いつしか酔いつぶれてしまい、眠ってしまった。外で聞いていた張順は腹をたてていたが、怒りを抑えて小部屋を借り休んだものの、とても眠れる状態ではなかった。
しばらくして一人の男が李巧奴のもとを訪れた。よく見るとその男は張順を襲った船頭の張旺であった。張順は刃物を握り、二人のいる部屋へ忍びこんだが、李巧奴を斬り殺したところで悲鳴を聞きつけた張旺は、すばやく逃げていた。
張順は壁に血文字で、殺人者は安道全と書き記した。目を覚ました安道全は李巧奴が殺されているのを見て驚き、かつ壁には殺人者として自分の名が記されている。張順はこのまま殺人者として捕まるか、梁山泊に行くか迫った。こうなっては梁山泊へ仲間入りするしか道はなく、二人は荷物を整え、夜が明ける前に王定六の酒屋へと向かった。
張旺を取り逃がしたのは残念だが、目的は安道全を梁山泊へ連れて行く事だとして、張順は世話になった王定六親子も梁山泊へ来てはと誘うと、二人は承諾した。
揚子江を渡ろうとしたとき運良く張旺の船が見えた。王定六は客を渡してくれと張旺をおびき出し、張順と安道全を船へ乗せた。張旺が船を漕ぎ出すと張順は船の中に隠してある刀を取り出し、張旺に突き付けた。張旺は張順の顔を見て驚いて震えている。張順は張旺の手足を縛り江へ突き落とし、奪われた金を取り戻した。
張順と安道全が先にたち、王定六親子は荷物を片付けてから追いかけてくる。二人は数日間歩き続けたが、安道全の足腰が弱く、思うように道がはかどらない。休んでいると、心配して梁山泊から戴宗が様子を探りにやってきた。戴宗は安道全を神行法で先に梁山泊に連れていくと、張順は王定六親子を待ち、ともに梁山泊をめざした。
数日の間苦しみ続け、食事もとれないでいた宋江だが、安道全の治療によって、十日ほどで体調を取り戻し起き上がれるようになった。食事も普通にとれるようになった宋江は張順と安道全、王定六親子に礼を言い、新しい仲間のために酒宴を開いた。
季節は冬から春に移りかわっていた。宋江は盧俊義と石秀の身を案じ、北京攻めを再開したいと言ったが、安道全は安静にするようにと引き止めた。それならばと呉用は宋江にかわって指揮をとり、必ず北京城を落とすと宋江に誓った。
