物語 第六十回

晁天王死す


<前解説目次次>

 公孫勝は芒蕩山側に妖術使いがいると気付くと、対抗すべく陣形を指示した。宋江は指示通り、呼延灼・花栄・朱仝・徐寧・史進・穆弘・黄信・孫立の八人の大将にそれぞれ隊を率いて布陣させた。
 樊瑞は山頂から敵陣を探らせたが、陣法については知識がないため敵をあなどっていた。三人は麓へと下り、樊瑞は風が吹くのを合図に、項充と李袞に勇敢な手下とともに敵陣へと攻めさせるように命じた。樊瑞が宝剣をかかげ呪文をとなえると、妖風が吹いた。項充と李袞は勢い良く敵陣へと斬り込んで行った。

 八人の大将は高台からの合図に陣形を変え、項充と李袞を陣内に突入させた。公孫勝は古剣をかかげ、呪文をとなえると、項充と李袞は暗闇につつまれ、退くにも道がなく、落とし穴へと誘いこまれ、暗闇の中落とし穴に落ちたとろこを捕らえらた。
 縛られた項充と李袞が宋江の前に連れられると、自らその縄を解き、無礼を詫び仲間入りをすすめた。手厚くもてなされた項充と李袞は承諾し、山寨に残ってる樊瑞も説得して仲間入りをさせるといい、どちらか一人が樊瑞を説得に行くというと、宋江は疑念をもたず二人に武器と鎧を渡して山寨へと帰らせた。

 項充・李袞の二人が捕らえられたと知り、肩を落としていた樊瑞のもとに二人が戻って来たと知らせがとどいた。訳を訪ねると、一時は捕らえられ命のないものと覚悟していたが、宋江に手厚くもてなされ、梁山泊へ仲間入りをすすめられたので、樊瑞を説得にきたと、宋江の言う言葉を伝えた。樊瑞も梁山泊と敵対した事に間違いに気付き、三人は下山した。
 宋江は三人揃ってやって来た事に喜んだ。樊瑞達は梁山泊の好漢達を山寨に招いてもてなすと、翌日、山寨を焼き払い、荷物をまとめ、従う者だけを引き連れて、梁山泊へと合流した。

 数日して梁山泊へと凱旋し、金沙灘へ渡ろうとしたとき、宋江の前に一人の男が現れた。名を段景住といい、馬泥棒を家業とし金毛犬と呼ばれている。段景住は梁山泊の仲間に加わりたく、北地で名馬を盗み、宋江に献上しようとやってきたが、途中で曽頭市を通りかかったところで、馬を盗まれたと訴えた。宋江は段景住の仲間入りを承諾し、山寨へと渡った。
 出迎えた晁蓋達一同は宴の準備をして、新しく仲間入りした樊瑞・項充・李袞、段景住を歓迎した。それぞれ住居と職務が用意された。宴の席で、段景住が曽頭市で馬を盗まれ、梁山泊の悪口を言われたと告げると、戴宗に命じて曽頭市の様子を探らせる事にした。

 数日して戻ってきた戴宗は、曽頭市の様子を詳しく話した。曽頭市には曽家の五虎とよばれる兄弟がいて、有能な武芸師範を雇い、梁山泊に敵対心をもやし、晁蓋・宋江を捕えて都へおくってやると、騒いでいるのであった。
 報告を聞いた晁蓋は怒って、今すぐに曽頭市を攻め滅ぼすだと、宋江らが止めるのも聞かず、二十人の好漢選び、五千の手下を従えて出陣した。
 宋江達が見送るなか、晁蓋達が金沙灘を渡ろうとしたとき、一陣の強風がふき、新しく作ったばかりの帥字旗を折ってしまった。不吉な前兆だと宋江達は止めたが、晁蓋は聞かず、そのまま曽頭市へ向かった。

 数日して曽頭市についた梁山泊軍、すでに知らせをうけていた曽頭市では、敵の到来を待ち受けていた。両翼に林冲・呼延灼の部隊をを従えた晁蓋、部隊を展開させていると、曽家からは四男の曽魁が飛び出してきた。梁山泊軍から飛び出たのは林冲、二人は激しく一騎打ちをはじめたが、林冲の前にしだいに防戦一方となった、曽魁はかなわぬと知り退いた。、林冲も追わずこの日は両軍とも退いた。
 翌日、曽家からは曽塗・曽密・曽索・曽魁・曽昇の五人の兄弟と武芸師範の史文恭と蘇定、七人の大将が大軍を率いて、本格的な戦いが繰り広げられた。

 何度かの攻防が続いた。敵側も訓練を重ねた兵と、有能な将もそろっているので、たやすく勝敗はつかなかった。どちらも多くの被害をだし、疲れが出ていた。
 ある日、晁蓋の陣を二人の僧侶がたずね、日頃から曽家の悪行には悩まされている、曽家に通じる秘密の抜け道を教えるので、曽家の魔の手から良民を救ってほしいと訴えた。
 晁蓋はこのまま消耗戦がつづき、兵が疲れていく事を恐れ、二人の僧侶の言葉を信じ、曽家へ夜襲をかける事とした。林冲は怪しく思い、晁蓋によく考えるよう忠告したが、晁蓋はうけいれなかった。

 その夜、林冲に半数の手下を率いさせ後陣とし、晁蓋みずから先陣となり、二人の僧侶に道案内をさせ曽家へと向かった。途中、法華寺に到着すると全軍待機させ、曽家の者達が寝静まるのを待つと同時に、敵の守る北陣めざして進んだ。
 少し進むと、二人の僧侶は闇にまぎれ姿を消した。計られたと気付いたときにはすでに遅く、敵に囲まれており、晁蓋の頭上には無数の矢が飛んでいた。運悪く、一矢が晁蓋のほほを貫いた。呼延灼と燕順は正面の敵に立ち向かい、落馬した晁蓋を劉唐と白勝が助け出した。後陣の林冲の隊と合流し、敵を退けると元の陣地へと退いた。

 晁蓋のほほを射た矢を引き抜くと、史文恭の名が刻まれており、矢じりには毒が塗ってあった。すでに身体に毒のまわった晁蓋は口もきけず、横になったまま阮兄弟・杜遷・宋万とともに梁山泊へ引きあげた。
 頭を失い、昨夜の戦いで多くの手下を失い、志気の落ちた梁山泊軍。林冲と呼延灼は相談の結果、梁山泊へ全軍退却命令をだした。追撃してくる曽家の兵を苦戦しつつ追い返し、傷付きながらも残りの手下を指揮し、林冲・呼延灼・徐寧・劉唐・穆弘・張横・楊雄・石秀・黄信・孫立・燕順・欧鵬・鄧飛・楊林・白勝の十五人は無事梁山泊へ帰還した。

 梁山泊に戻ったときにはすでに晁蓋は水も通らず、薬も効かず容態は悪化するのみ。死期を悟った晁蓋は宋江を呼び、自分を射た奴を捕えた者に次の首領の座を譲るとだけ言い残して、この世を去った。悲しみの中、梁山泊の者全員で晁蓋の葬儀を行い、晁蓋の亡骸を手厚く葬った。
 晁蓋を失い、首領の座が空席となった事で、呉用と林冲は一同と相談して、宋江を仮の首領の座につかせる事を決めた。皆の言う事に従い、宋江は史文恭を捕らえるまでの仮首領となり、聚義庁を忠義堂と改名し、それぞれの役職を把握し戒律を厳しく守るよう指導した。

 史文恭に対して怒りおさまらぬ宋江は晁蓋の遺言を守るため、曽頭市攻めを考えたが、呉用はまだ喪中である事を理由に、宋江をなだめ梁山泊内の強化につとめた。好漢達は皆、仇討ちを決意して以来、亡き晁蓋を梁山泊の守護神として祭り、毎日の供養を怠らなかった。
 数日が過ぎたある日、梁山泊近くを通りかかった北京の大円和尚を山寨に招いて、晁蓋の供養を頼んだ。宋江と呉用はふと大円の口から、北京の富豪、玉麒麟の盧俊義の名を聞くと、ぜひ梁山泊に招きたいと密かに策を練った。


<前解説目次次>