
梁山泊を討伐する事になった呼延灼、副将として二人の人物を高俅に推薦した。その人物とは、陳州の団練使、百勝将の韓滔といい、もうひとりは頴州の団練使、天目将の彭玘である。
さっそく呼び出された二人は高俅と対面し、梁山泊討伐の副将を命じられると、それぞれ指揮下の兵士をあつめ、討伐隊を編成、三軍あわせて八千ほどの大部隊となった。
高俅の許可を得て、兵器庫から数え切れないほどの武器や鎧を受け取ると、韓滔を先陣、呼延灼が本陣、彭玘が後陣をなって梁山泊を目指した。
呼延灼が討伐に来ると、知らせを受けた梁山泊側では迎撃のため湖を渡り、秦明・林冲・花栄・扈三娘・孫立それぞれ騎馬隊を率い呼延灼の軍勢に当たらせる事とし、宋江は十人の頭目とともに手下を率い、水軍・歩兵も待機させた。
まず飛びだしたのは第一陣の秦明、呼延灼側からは先陣の韓滔が棗木槊をかかげて飛び出した。両者激しく戦ったが、韓滔は秦明にかなわず、しばらくして駆けつけた本陣の呼延灼と交替し退いた。
それを見た第二陣の林冲は秦明と交替し、呼延灼と激しく戦った。蛇矛と双鞭、火花散る戦いをくりひろげたが両者の腕はほぼ互角で勝負はつかなかった。
続いて第三陣の花栄が出ると、呼延灼と代わった彭玘が三尖両刃の刀を振り回して対戦したが、彭玘の方がやや旗色悪く、後ろから呼延灼が援護に出て来た。すると次なる第四陣の扈三娘が彭玘の前に現れた。
彭玘は相手が女だと甘くみたため、捕らえてやろうと向かっていった。だが彭玘は扈三娘の隠し持っていた鍵縄によって生け捕りにされ、山寨へ連れ去られた。
呼延灼は彭玘を助けようとしたが、扈三娘と第五陣の孫立に阻まれ、鋼鞭と双鞭の熾烈な争いを繰り広げた結果、勝負はつかず、彭玘を助け出す事もできなかった。
後陣に下がった韓滔は彭玘が捕らえられたと聞くと、三千の連環馬の陣を前に出し、梁山泊軍を激しく攻めたてた。宋江は左右の頭目達を指揮して、連環馬の陣に当たらせたが、三十頭を一部隊として一列に鎖でつなぎ、馬にも兵士にも身体全てを覆いつくすほどの鎧を着せ、長槍と弓で攻撃する敵に対して、こちらの武器も効かず策もなく、後退するしかなかった。
梁山泊軍が後退し陣をしきなおすと、呼延灼も部隊を休め、指揮官彭玘の抜けた部隊を最編成した。
翌日、呼延灼は三千の連環馬の陣を前陣に出し、後陣に歩兵を置いて援護させ梁山泊軍に向かった。対するは中央の陣に秦明を配置し、左に林冲・扈三娘、右に花栄・孫立を配置して挑んだが、再び向かってきた連環馬の陣を止める事ができず、緒戦の善戦むなしく水際まで追い詰められ窮地に陥った。
梁山泊軍は宋江を守りながら頭目達は戦った結果、伏兵として待機していた李逵と楊林の部隊、そして湖のほとりで待機していた水軍の部隊によって助けられた。この日の戦いでは全滅は免れたものの多くの死傷者をだし、頭目の中にも怪我を負う者が多かった。
呼延灼の部隊は船の準備はなく、さすがの連環馬も水戦はできず、引き上げて陣をかまえた。宋江達は山寨に引き返すと、まず捕虜となった彭玘を連れ出した。命ないものと観念していたが、宋江に縄を解かれ、一時山寨に身を寄せているにすぎず、いずれは国に忠義を尽くそうと言葉をかけられると彭玘は心を動かし、仲間入りした。
山寨では負傷した者の手当てをし、手下を休ませた。また、守りを固め警戒を強めた。呼延灼の部隊のために酒店を追われた石勇・時遷・孫新夫婦が避難してきた。
呼延灼は梁山泊の砦が湖に囲まれていて、攻める事ができないので、東京の凌振を呼び出すように願い出た。兵器庫で働く凌振は大砲造りとしての職人肌でありながら、大砲を扱わせれば宋一番の腕前をもち、轟天雷と呼ばれている。すぐに呼び出された凌振は指揮官に任命され、自慢の大砲とともに梁山泊に向かった。
呼延灼達に出迎えられ、梁山泊に到着した凌振は、水際に大砲を据えると、さっそく梁山泊の水寨を狙って攻撃を開始した。
鴨嘴灘に待機し、呉用とともに今後の作戦を練っていた宋江、東京から新たに大砲の名手凌振が加わったと知らせを受けると、関門まで下がり様子を見た。すると対岸から発射されたうち、一発の大砲が鴨嘴灘小寨は跡形も無くこなごなに破壊してしまった。
目の前で大砲の凄まじい破壊力ほ見せつけられると、皆が驚き恐怖心を抱いた。その後も数発が鴨嘴灘付近を荒らした。
呉用はまず凌振の大砲を封じるため、その夜、李俊・阮兄弟・張兄弟に策を与え、水に慣れた手下を率いさせ凌振をねらった。
まず李俊と張横が対岸に上がり大砲をひっくり返した。それに気付いた凌振は怒って飛び出してきた。見ると、数人が船に乗り込むところである。水際にはまだ数船の小舟が泊めてあったので、兵士とともにその小舟に乗り込むと、前に船を追いかけさせた。
凌振は計略ともしらず、船を湖へと出す。水中では、阮兄弟と張順達があらかじめ細工してある船底の栓を次々に抜いていくと、小舟はすぐに水が漏れだして沈んでいった。
兵士達は水中で溺れる者あり、捕らえられる者ありで、逃げ戻った者はいなかった。水中に落ちた凌振は阮小二によって捕らえられ、山寨に送られた。
宋江に縄をとかれ、彭玘とともに仲間入りを説得された凌振は、承諾して頭目のひとりとなった。まず彭玘と凌振の家族を引き取るため、それと大砲の作成のために、東京へ手下を走らせた。仲間となった二人のために盛大な酒宴が開かれた。早速、凌振は新たな大砲造りにも腕を奮った。
だが、無敵をほこる呼延灼の連環馬に対して、今だ封じる策が見つからず、主脳陣は頭を悩ませていた。呼延灼の方でも湖に隔たれていては攻める手立てがなく、しばらくは抗戦状態が続いた。
ある日、連環馬を破る方法はないかと相談していたところ、湯隆の口からひとつの案が出た。
