
その言葉に驚いたのは林冲、それでは私事の為に王倫を殺した事になる。すぐに呉用の前に立ちはだかり、自分が寨の主になりたいがために王倫を成敗したのではないと解き、自分の意見を聞いてほしいと言う。
林冲は王倫の首から頭巾を取り、死体を片付けさせると、手下どもに小頭達を呼び集めさせた。主の証である頭巾を晁蓋にかぶせ中央の席へと進めた。梁山泊も多くの人数を集めたが、このままではただの山賊集団であり、王倫のやってきた事となんら変りがない。そこで、人望を集め噂に違わず義を重んじ財を軽んじる晁蓋その人こそが、主にふさわしいではないか、と一同に申し出た。
晁蓋は何度も辞退したもの、主にはこの人をおいて他になく、皆の意見も一致。天命であろうか、宿星を宿す人々が集う梁山泊の新しい首領の座には晁蓋が着いた。
晁蓋を主とし、以降の席順は林冲の進行で、軍師として呉用・公孫勝に二位・三位の席に座ってもらい、兵権をにぎる。つまり晁蓋を軸とした鼎である。
呉用も公孫勝も何度か辞退したものの、林冲に押されて上座の席に着き、林冲は第四位の席に着いた。晁蓋は林冲の次席を宋万・杜遷・朱貴に進めたが、三人は己の無力さに末席に退き、第五位の席には劉唐、第六・七・八位の席は阮三兄弟がそれぞれ着いた。
早速、晁蓋は一同に向かい、山寨の職務は以前の通りとして、今後は厳しい規律の元、結束を固め寨を守る事を命じる。皆は新首領に忠誠を誓い、大義を旗印とし、一致団結する事を祈った。これより新生梁山泊は十一人の好漢により収められ、生まれ変わる事となる。
数日間、梁山泊では大宴会が行われたある日、林冲は開封に残してきた妻を梁山泊に迎えたいと晁蓋に言った。梁山泊に来てから何度も妻を山寨に迎えようと思ったが、王倫の態度をみるに、とても安堵はできないとあきらめていた。
晁蓋は林冲の心境を察して、さっそく林冲の妻を呼び寄せる様にさせ、林冲の腹心の部下二人に手紙を託した。
梁山泊を出た二人の部下はふた月ほどして戻ってきた。知らせをうけた林冲は急いで出迎えた。しかし、そこに妻の姿を見る事はできなかった。
部下の話しでは、林冲が滄州にたってからというもの、高衙内は林冲は死んだのだと言い、執拗に縁組みを迫っていた。そして半としほど前、ついに耐え切れず首をくくり死んでしまった。また、舅もそれが原因で寝込む事となり、最近病死したと言う事だった。
始めから終りまで部下の話しを聞くと、さすがの林冲もつい眼から涙が流れ落ちる。晁蓋以下、山の頭目らは皆、林冲の涙に心を打たれた。
林冲はこの件の事を以後話す事はなかった。新しく入山した頭目達の家族は裏手の静かなところに住まわせ、首領となった晁蓋の指揮の下、軍師の指事で好漢達は日々訓練を行い、山寨の守りを強化した。
ある日の事、済州府に梁山泊党閥軍が召集され、すでに一千ばかりの兵士達が石碣村まで向かってきている情報が入った。済州知府は団錬使の黄安に命じて、晁蓋達を捕らえるため、梁山泊党閥軍を派遣した。黄安は梁山泊が湖に囲まれた地形と知り、ことごとく船を徴収し、陸戦・水戦の準備を整えている。
しかし、慌てず騒がす、軍師としての才覚を発揮する呉用。頭目達を聚義庁に集め、今回の作戦の細かな指示を与えるのだった。
阮三兄弟はそれぞれ四人の手下をつれて小舟を出し、西の入り江で押し寄せてきた済州兵と対峙した。阮三兄弟は黄安を挑発し、兵士が矢を放って来たところで船を返し逃げだした。
槍をかかげた黄安は慌てて船を進め追いかけさせた。すると急に向きを変えた阮三兄弟の船が後ろに十艘もの船を従えて戻ってきた来た。
すでに湖上には五十艘もの船が蘆の茂みに隠れており、一斉に飛び出すと黄安達を船を取り囲み、矢の雨を降らせた。兵士のほとんどは矢の餌食となり溺れ死ぬ者ばかり。後に続く船はなく、必死に船を岸に向かわせ逃げのびた黄安は陸に上がろうしたとき、一艘の船が近付いてきた。乗っていた劉唐は黄安の船に飛び乗ると、すばやく黄安を捕らえた。
宋万と杜遷は石や目つぶしを用意して東の入り江に待機し、細くなった水路で待ち受けており、通りかかった船を次々と捕獲し、兵士を追い返した
陸路を進んだ兵士達は林冲が一隊を率いて待ち伏せしていたので、兵士達はことごとく殺され、馬を捨てて逃げたした。林冲は馬を奪い、捕らえた兵士を捕虜として山寨へ引き返した。
調べてみると、多くの船、二百人ほどの捕虜と六百頭ほどの軍馬が手にはいった。晁蓋は苦労した好漢や手下達を労うと山寨では大宴会となり、勝利を祝った。
今日、生まれ変わった梁山泊があるのもひとえに宋江・朱仝・雷横のおかげだと、晁蓋は劉唐に命じて謝礼を届ける事にした。梁山泊周辺には多くの旅商人らの一行が通る街道がある為、金目の品が通行する情報を得ると、すぐさま頭目達は山を降り強盗を働き、山寨の蔵には金品が山積されていた。
まとまった金を抱え旅人に身を変えた劉唐は済州を目指して歩いた。そしてもうひとつ、とり残された問題は済州の牢につながれている白勝の身の奪回だった。こちらは呉用の計略で、金に物を言わせて牢の戒めを軽くして脱獄を計る事とした。
晁蓋達の身を案じながらも、大それた事件を次々と起こした事に対し、日々心配をしている宋江は、ある日の事、役所前にて一人の閻婆と名乗る婆さんに金を恵んでやった。親子三人、東京から流れてきたものの、夫に先立たれ棺桶代も無いありさま。そこで宋江の人柄を知る婆さんを頼り、及時雨と名高い宋江に、せめて棺桶代だけでも恵んで暮れないかと来た訳だ。
気前良く金をはずんでやったおかげで、返礼として宋江は閻婆の一人娘、閻婆惜を妾として囲む事となる。
なかば二人の婆さんに無理やり押しすすめられた形となった。借家を一室用意し、閻婆と閻婆惜二人の生活の面倒を見る事となった。
歌も楽器も踊もとなんでもこなし、二十歳を前にし日に日に女の魅力をかもしだす閻婆惜。最初は閻婆惜の器量の良さに満足し、何度か閻婆惜の元へと足を運んだが、次第にその足は遠のいた。
その本性はとても生娘とはいえず、裏を返せば宋江の手にはおえぬ悪女であった。人間としては堅すぎ、容姿のすぐれない宋江に愛想をつかしたから、色を好まない宋江の方でもそれを理解した。別に自分が選んだ女でなければ、親同士が決めた許婚でもない。少しずつ閻婆惜から遠のいていった。
そもそも近ごろの梁山泊の一件、この事件に手をやき、閻婆惜どころではなかったのである。
宋江には腕利きの部下がいた。名は張文遠といい、宋江とはうって変わっての色男。ふとした事から宋江が張文遠をともない、閻婆惜の元へ連れてきた事があった。閻婆惜は美白の張文遠をみるなり、心踊った。また張文遠のほうも若く奇麗な閻婆惜に惚れてしまったのである。
ちょっとの間、宋江が席をはずした隙に二人はもうできてしまった。互いにその道に関しては馴れたもの、目と目を見合わせるだけで互いの気持ちが判ったのだ。
それからと言うもの、足の遠のいた宋江の目を盗んでは、二人で会う様になってきた。宋江の方はと言うと、二人の噂を耳にするも実際に現場を見た訳ではなし、噂が真実でも自分が行かなければと、閻婆惜に会う事が無くなった。
閻婆と閻婆惜の生活はと言うと、宋江から支給される生活費で暮している。着飾る閻婆惜はもとより、いつの間にか閻婆までもが贅沢な暮しをしていた。
二人にとって困る事は宋江からの支給が止まる事だ。そうなっては今までの生活はできないうえ、自分達の立場が悪くなるのは目に見えている。そこで無理やりにでも閻婆は宋江を家へ呼び入れようとやきもきしている。
宋江は何かと理由を付けて閻婆の誘いを断わっていた。自分の部下と噂のある閻婆惜と夜を過ごす気にはなれないし、行けば気まずくなる。
ある日、街を歩いていると一人の男が宋江を呼び止めた。宋江もどこかで見かけた男だな、と思案していたところ、その男とは誰かと言えば、今や梁山泊の頭目となった赤髪鬼の劉唐である。
白昼堂々とした面会に驚きいり、宋江は慌てて劉唐を静かな茶店へと誘った。もし腕利きの役人でもいたら特徴のある劉唐はすぐに追われる事となろう。店にて席をともにするのさえ、宋江も冷や汗を流す程だった。
劉唐は晁蓋の命をうけ、晁屋敷で捕手から救ってくたれ謝礼の手紙と金百両を宋江に届ける為にやってきた事を告げ、宋江に手紙を渡す。手紙を一読した宋江だが、金百両のうち十両だけ受取り、晁蓋宛に返事を書き、劉唐に持たせた。
宋江と劉唐、互いに金を渡す受け取らないのやり取りを交したが、あくまでも十両しか受け取らない頑固な宋江に負け、仕方なく引き下がる事となった。また、物もちの朱仝へは無用、雷横への謝礼は宋江が自分で渡すからと言って、劉唐の身を案じて早く山へと帰る様にと指示した。
月夜の晩、劉唐は密かに梁山泊へと向かった。数日後、監禁されている白勝は呉用の計略で、仲間からの手助けをうけ、うまく脱獄に成功し山寨の一員となったのは言うまでもない。
