物語 第二回

王進の敗走


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 洪信が魔を逃がしてから三十年ほどの平和な時がすぎ、皇帝は仁宗から三代かわり哲宗皇帝が宋国を納めていた。
 ここ開封に高俅というごろつきがいた。兄弟順は二番目だったが、人は彼の蹴毬の上手さゆえに誰も高二とは呼ばず、高毬と呼び、のちに高俅と名前を変えた。
 この男、若くして道楽好きとなり、あらゆる武術から芸術と何でも器用にこなし、金持ちの息子をそそのかし、甘い汁をすう。それが彼にとっての生きていく術だった。しかし、度がすぎる数々の悪行の結果、訴えがおき罪にとわれる事となり、開封東京から所払いとなった。

 しばらくの間、淮西の柳世権のもとへ身をよせ、おとなしくしていたが天下大赦が高俅にもくだったので、開封へと舞い戻った。立身できるようにと柳世権から知人を紹介されたが、ごろつきとして悪名たかい高俅を誰もそばに仕えさせようとはせず、次々とたらい回しされた結果、運良く宮家の王晋卿に仕える身分になる。
 高俅はまじめに働き、王晋卿に気に入られる様になった。元々王晋卿はこの様な男がすきであった。
 ある年の事、当主の誕生祝を行うため王家は端王(後の徽宗皇帝)を招待し、盛大な宴が行われた。この日、ふと目にした獅子飾りの文鎮を端王が気に入ったと知って、王晋卿は龍の筆掛とともに改めてとどけさせる事にした。

 数日後、高俅は主人の命にて文鎮と筆掛けを届ける役目を受け、端王の御所に向かった。この時、端王は鞠場にて、蹴鞠を行っているというので、高俅は鞠場へ案内してもらうと、多くの見物人の中、端王が従者とともに蹴鞠を行っているのが見えた。
 その時、見学中の方へ、ふと蹴り外れた鞠が飛んできた。足がうずうずしていた高俅は誰よりも速く鞠を蹴り、端王の元へと戻した。
 見事!と端王の声があがり、高俅は端王に呼ばれた。そこで蹴毬の妙技を披露した高俅は、たちまち端王のお気に入りとなり、それ以来そばに仕えるさせる様になった。

 しばらくして七代皇帝哲宗は若くして亡くなり、端王は宋朝八代皇帝徽宗として即位した。高俅にも重臣としての道が開かれ殿帥府の大尉とまでとりあげられ、就任日を祝って自ら禁軍八十万の前に姿を表わした。
 ただ、禁軍召集に一名欠ける病床の者がいた、高俅は怒って呼び出しをかけると、あらわれたのは八十万教頭の王進。以前、高俅は王進の父王昇にひどく痛めつけられた事があったので、今その恨みを晴らそうと、仮病を使ったとして罰せようとしたが、部下たちは慶事が汚れると高俅をとりなしたため王進は難を逃れた。

 王進は新しい上司が街のごろつき高俅だと気付くと、急いで帰宅し老母と二人闇夜にまぎれ開封から逃げだした。王進の逃走を知った高俅、すぐに追手をだし、王進を捕らえよと命令をだしたが、すでに王進母子は西へと去った後だった。
 高俅の追手を恐れながらの長旅で老婆は疲労していた。王進は病弱な老母を気づかい、ある村にかかったところで宿をとる事にした。村の庄屋らしい屋敷をたずねると、こころよく主人は一晩の宿を貸す事を承諾し、ひとときの休息をとる事ができた。王進の訪ねたのは史家村の里正の屋敷であった。

 翌朝、王進は出発しようとしたが長旅の疲れか母親の病気が悪化し、起きあがれなくなったが、主人は母親の体調が回復してから旅立てはよいと、母子をもてなした。
 王進は屋敷の裏庭で棒を使う二十歳ころの若者を目にした。立派な体格のうえ背には九匹の竜の刺青をし、たくみに棒を操っていた。しかし王進から見れば型だけはいいがスキだらけ、つい苦笑いをした。それに気がついた若者は自分の武術を侮辱されたとして怒った。
 若者の名は息子の史進。主人から棒の心得があるのなら指導してやってほしいと言われ、王進は棒をかまえた。多くの武芸者から棒術を習い、腕におぼえのある史進は棒を構えると打ちかかった。

 気合いの入った史進のひと振りだが、王進には通用せず、気が付くと史進の身体はひっくりかえっていた。史進の自慢の棒術は手も足もでなかった。
 背に九匹の竜を刺青している為、人は九紋竜史進と呼ぶ。史進は王進の強さにおどろき、弟子にしてくれと頼むと、王進は禁軍教頭でありながら、高俅に恨みをいだかれ延安府を目指し逃亡していると、身分を明らかにした。
 王進は療養の礼にと、史進に武芸を指導し武芸十八般を教えた。史進の若さと素質は王進の教えを吸収し上達した。そして一年ほどたったある日、王進母子は延安府へと旅立った。
 師が去り、その後父親が他界した。史進には農業を営む暮しなど望まず、次第に里正の家もすさんでいった。

 ある日、猟師の李吉から、この頃少華山には三人の頭目が七百の手下を従えて住み着き、近辺の村を襲っていると聞いた史進、若者を集め村を守るべく自衛団を結成した。
 少華山の三頭目とは首領の神機軍師朱武・槍を得意とする跳澗虎陳達・大桿刀の使い手白花蛇楊春、いずれも役人には手におえない智略家であり豪傑であり、県からは三千貫の懸賞金がかけられていた。
 中でも血気盛んな陳達は、山寨の食料不足の為、史家村をって華陰県の食料庫を狙っていた。史家村の史進の噂は聞いていたので朱武は止めたが、陳達は聞かず手下二百ほどを引き連れて下山した。

 山賊が来たとの知らせを受けた史進はすぐに人を集め襲撃に備えた。村の入り口に到着した陳達は村を通せと言うと、通れるものなら通ってみろと史進は三尖両刃刀を構え陳達と対峙した。怒った陳達は点鋼鎗を構え史進に向かって行った。陳達と史進の激しい一騎討ち、だが陳達は史進にかなわず生け捕りにされた。
 朱武と楊春は手下を引き連れ、近くまで様子を見に来ていた。逃げ帰った手下から、陳達が捕まったと聞くと、朱武は力ではかなわぬとみて策を練った。史進が噂通り義を重んじる好漢であれば、陳達を助け出す事ができるだろうと、楊春と二人だけで史家に向かった。

 別の頭目がやって来たと聞いた史進、すぐに身を固め飛び出したが、外には二人の男が投降の意を表わしていた。朱武は言う、桃園の誓いには及ばないが、我らは生まれた日は違えど死する日は同じ、陳達と一緒に捕えて懸賞金をもらってくれと。史進は三人は固い絆で結ばれている事を感じ、陳達の縄を解いた。
 以来、史進と朱武達は親しくなった。中秋の季節となり、史進は朱武達を屋敷に招待しようと、いつもの様に史家の下男、賽伯当と呼ばれる王四に手紙を渡し届けさせた。手紙を受け取った朱武は快く承諾し、必ず行くと返書を書き王四に渡して酒をふるまった。

 山寨からの帰りでも酒に招かれ、つい飲みすぎた王四は帰り道眠ってしまい、気がつくと朱武からの手返書を失っていた。史進に知られたら大変な事になると思い、王四は返書は無かった事にして、史進に口で報告した。
 そして酒宴の日、史家にやってきた朱武・陳達・楊春は史進と心を開いて盃をかたむけ語り合った。だが酒宴もたけなわとなった頃、急に外が騒がしくなった。王四から返書を奪った李吉が役人に訴えたからだ。


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