物語 第十七回

二竜山奪取


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 七人の棗売りに生辰綱を奪われ、もはや戻るところもない楊志は死んで先祖達に詫びようと考えた。黄泥岡の崖の上に立ち空を見上げた楊志。ふと、このまま死ぬ事はたやすいが、他にやるべき事があるのではと考え、思い直す事にした。
 まだ起きあがれない謝都管や兵士達のところへ戻ると、まだ起きあがれない様子。楊志は指をさして失敗した事を罵しると、一人岡を下っていった。手には朴刀ひとつ、生きる道を探す楊志であった。

 生辰綱運搬に携わった謝都管と兵士達はしばらくして身体が回復すると、まんまと賊にしてやられた事を悔いたが、すでに時遅し。取り替えしのつかない過ちを犯してしまった。
 楊志がどこかに去ってしまった事を利用し、この場をとりつくろう知恵はないものかと話しあった。老獪な謝は、この一件は賊とグルだった楊志が全て企てた事にして州に訴えようと言い出した。兵士達もみな何とか罪から逃れようと楊志に罪をなすり付けるのがいいと、話しはまとまった。
 謝は兵士達を率いて済州府に訴えでた。打ち合わせ通り、巧みな作り話しで謝と兵士達は生辰綱運搬の一部始終を話した。

 謝達の悪だくみなど知らない楊志、岡を下った頃にはもう陽が暮れかけていた。朝から何も食べていないうえ、一日歩きどうしで身も心も疲れていた。
 しばらく歩くと一件の酒屋が見えた。身には朴刀が一本あるだけの無一文だったが、空腹を抑えきれず、その酒屋へ足をいれた。
 酒と食事を注文し腹一杯詰め込むと、楊志は店から立ち去ろうとした。これを見ていた店のおかみが楊志を引き止めた。無銭飲食をだまって見過ごすほど甘くはない。楊志もはらを決め、いつか払いにくる、とだけ言うと朴刀を手に店から去ろうとした。

 この騒動を聞きつけた店の男どもが、それぞれの獲物を手に楊志を追いかけてきた。中でも先頭を切って駆けよってきた男は棒を手にして迫ってきた。
 その男の気迫はすさまじく、楊志は朴刀を構えて渡り合った。どうやら店の主人らしい男だが、なかなかの腕前をもち、棒を自在に使う。しばらく渡り合っていたが、楊志の武術にはかなうはずもなく、次第に受け身一方となった。
 男は楊志のただならぬ武芸を見て身を引いた。応援に駆けつけた地元の農民達を制し、楊志に話しかけてきた。

 名を訪ねられた楊志は好漢らしく自らの名を名乗った。するとその男は驚き、元殿司制使を勤めていた楊志か、と訪ねた。
 この男、名を曹正といい、屠殺業を営んでいたので、操刀鬼とよばれている好漢であった。元は開封に住み、元禁軍教頭の林冲に棒槍の手ほどきを受けた事もあり、殿司制使として楊志の武勇を聞いていた。
 その楊制使本人だと知ると、曹正は慌てて武器を棄てて礼を交わし、改めて酒屋で楊志をもてなし、ここにやって来た訳をたずねた。

 花石綱にしくじり、生辰綱も賊に奪われた事を話した楊志は、行き場の無い身の腑甲斐さを嘆いた。林冲と戦い、梁山泊から仲間入りを進められたが一度断わったので戻る事はできず、あの王倫に仕える気もない。
 林冲も梁山泊の仲間入りするにいたって、王倫に苦しめられたと聞く曹正は、行く宛のない楊志に対して、梁山泊ほどの大規模な山寨ではないが、似通った所として青州の二竜山を進めた。ここには鄧竜が五百ほどの手下を従え、宝珠寺を山寨としている。

 宝珠寺の住持だった鄧竜が反乱を促し、還俗した僧侶達によって宝珠寺は賊の砦となった。楊志は二竜山に行く事を決めると、翌朝曹正達は酒宴を開き、楊志を見送った。
 曹正の酒屋を出て、数日して青州にだとりついた楊志はまっすぐ二竜山へと向かった。昼夜をとわず旅を急いでいたため、二竜山についたころにはすでに日が暮れかけていた。
 山の麓近くまで来ると草木が生い茂り、深みが多く楊志の足どりも重くなっていた。ふと歩いていると背中の刺青をあらわにして木陰に座りこんでいる和尚がいた。

 和尚の言葉使いから関西の人間だと気付き、話しかけたが、和尚は楊志を見るなり錫杖を振り回して、襲いかかってきた。楊志も朴刀で応戦したが、五十合も渡りあうが決着はつかなかった。
 ついに和尚のほうが勝ちを譲って身を引くと、名前をだずねた。楊志が名乗ると、和尚の方も名乗った。この和尚とはあの花和尚魯智深であった。林冲を助け滄州に送りとどけ開封に戻ると、しばらくして陸謙が捕手達を差し向けてきたので、大相国寺から逃げ出し孟州に逃げこんだ。そこであやうく痺れ薬で殺されそうになり、菜園子の張青と母夜叉の孫二娘と知り合うと、二竜山を紹介されやってきたところだった。

 だが鄧竜が仲間入りを拒んだので喧嘩になり、魯智深が鄧竜を打ちのめしたので、山寨へ逃げ込み関門を固く閉じてしまい出てこないのでどうしようかと座り込んでいたところだった。
 魯智深は楊志が開封で牛二を殺した事をしり、楊志も鎮関西を拳三発で殺し、出家した魯智深を知っていた。ともに生まれは関西なので意気投合し、二人で二竜山を奪ってらろうと相談した。
 だが、三箇所の関門を固く閉ざしているの力では無理と悟った楊志は、ひとまず曹正のところへ戻り相談する事とした。

 ひとまず曹正の酒屋へと戻り相談する楊志と魯智深。曹正に相談すると、策を練った。ここは計略で奪いとるのが一番と言う曹正の智恵で、翌朝、楊志と曹正は身なりを百姓姿に変え、曹正の妻の弟や仲間数人を集めると、魯智深を身動きできないほど縄で縛りあげ、錫杖は曹正が持ち、二竜山にむかって行った。
 二竜山の関門にくると、曹正は村で暴れまわっている魯智深を酔わせて縛り上げ、山寨の頭領に裁いてもらおうと連れてきたと言うと、それを聞いた鄧竜は恨みを晴らしてやろうと、喜んで村人達を山寨へと招き入れた。

 魯智深は縄につながれているものの、これは曹正の習する空結びの技であった。やがて山寨につき、鄧竜の前に案内されると、縛られている姿に安心しきっていた鄧竜は魯智深に罵った。
 その時魯智深は大声をあげると、曹正は錫杖を置き、縛っていた縄を引き空結びをほどいた。錫杖を手にした魯智深は鄧竜に襲いかかって頭をまっぷたつに砕いた。楊志と曹正は朴刀を振り回し、鄧竜の手下達を数人斬り殺すと、他の者達は慌てて降参した。

 前頭領は討ち果て、ここに魯智深と楊志が首領として新制二竜山が誕生した。さっそく各小頭目ら手下をよび集め盛大な宴会を開き、手下達に酒を振るまうと、厳しく号令をかけた。
 その後、曹正と連れの者達は地元へと戻っていった。楊志は曹正を山寨へ引き留め様とはしたものの、店を持っているからと曹正は断わった。しかし、いずれは二竜山にて義の為に戦う事を誓う曹正であった。
 さて済州に訴えでて楊志に手配書がでまわっている頃、謝と生辰綱に携わった兵士達が北京に戻り、粱世傑へ嘘の報告をした。。
 謝と兵士達は楊志一人に罪をきせようと結託して虚実を繰り返していた。報告を聞いた粱世傑は執事の言葉をうたがう事なく信じこみ、目をかけていた楊志に怒りをあらわにしたたのだった。
 この一件は蔡京の元にも報告が届いた。またしても誕生祝を賊に奪われたとあっては、蔡京もじっとはしていれない、すぐに管轄内である済州府へと指令が走った。

 昼夜とわず済州へと届けられた公文書は済州の知府の元へ提出された。その内容には、提轄楊志、棗売りの七人、酒売り一人を十日以内に捕らえなければ沙門島送りとすると書かれていた。蔡京の怒りに充ちた厳命であった事は言うまでもない。
 この文書を読んで驚いた知府は慌てて刑事頭の何濤を呼び寄せた。黄泥岡の現場を担当する可濤は、もとより寝る間も惜しんで犯人探索にあたっていた。しかし手がかりは薄く、犯人の目星などついていないのが現状であった。
 知府は何涛に早く犯人を捕らえるようにと厳命し、十日以内に犯人をあげなければ流罪にするととと通告した。

 知府はすぐに入墨職人を呼び、○州流罪と州の名だけを空けてた刺青が何濤の額に入れさせた。何濤は知府の命令をあらためて受け、手下達を呼び集め号令をかけた。黄泥岡での事件以来、足が棒になるまでも捜索を繰り返していたが、苦心と疲労、一行に前に進まぬ苛立ちもあり、何濤の令も話し半分に聞いている手下達であった。
 確かにその通りである、何濤にも良く判っていた。知府からの厳命とわが身の不幸にどう対処したものかと。
 仕方なくこの日は家へと帰る可濤、近ごろは家でゆっくりもしていられない。この難解な事件にため息をつくのであった。

 何濤には妻と遊び人の弟がいた。妻は流罪となりうる夫の身を案じ、不幸を嘆いていた。そこへ遊び人の弟何清が戻ってきた。
 兄何濤はまた博打の小遣いほしさに来たのだろうと、顔をあわせる事なく弟をあしらった。兄嫁から兄の困った様子を聞くと、意味ありげな口ぶりで何か知っているのかの様に事件についてつぶやいた。
 何涛は何清をなだめて、情報を聞き出そうとするが、何清は日頃から兄に冷視されている為、簡単には口を開かない。何濤の妻も一緒になってなだめると、やっと何清は事件について口を開いた。


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