物語 第百回

終焉梁山泊


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 涙を流して別れた二十七人のその後どうなったかというと、戴宗は兗州府都統制を返上し泰安州の廟に使え、天寿を全う。死後霊験を表したので身体をもとにして神像が造られた。
 阮小七は方臘の衣装を着てふざけていた事を王稟と趙譚に責められ官職を剥奪。阮小七はむしろ喜び、石碣村へもどり漁師として母親と暮らし六十まで生きた。柴進は方臘の駙馬となった自分も阮小七と同じ目に合う事を恐れ、官職を返上し滄州へもどり元通りの暮らしを望んで、天寿を全うした。李応は赴任して半年ほどして、柴進が元を暮らしを選んだと知り、病気を理由に杜興をつれて独竜岡へと戻り富豪としてくらし、天寿を全うした。

 関勝は北京大名府の兵馬総管となり、人望を集めたが、酔って落馬の怪我がもとで死亡した。御営兵馬指揮使となった呼延灼、保定府都統制となった朱仝はそれぞれ戦いで功をたてた。黄信は青州、孫立は家族と顧大嫂をつれ登州へ赴任した。
 庶民になる事を臨んだ鄒潤は登雲山へ、蔡慶は北京で。蒋敬は故郷の譚州での暮らしを選び、穆春は掲陽鎮へ、裴宣と楊林は相談して飲馬川へ戻って暮らした。朱武と樊瑞は二仙山の公孫勝を訪れ、弟子入りした。
 凌振は大砲手として火薬局で任用、蕭譲、安道全、皇甫端、楽和はそのまま開封での職にとどまった。

 宋江、盧俊義、花栄、呉用、李逵は官職を受けそれぞれ赴任したが、穏やかな暮らしは訪れなかった。宋江達が高い官職を得た事を喜ばない高俅と楊戩は宋江と盧俊義の暗殺を計画する。
 まず廬州安撫使となった盧俊義に謀叛の疑いをかけ、皇帝の名を使ってを東京へと呼びだすと、御酒に密かに毒を混ぜた。盧俊義は廬州へと戻る途中、毒がまわり川へ落ちて溺れ死んだ。
 楚州安撫使の宋江にも皇帝の名を語って毒を混ぜた御酒を飲まされた。あとから毒と知った宋江は自分が死んだ後の李逵が謀叛を起こすのではないかと心配でならず、潤州から呼びよせると同じ毒酒を飲ませてから理由を告げた。
 李逵は宋江を恨んだりはせず、同じ地に埋葬される約束し、涙を流して別れた。

 楚州には梁山泊に似た穏やかな地、蓼児洼がある。宋江は自分の墓を蓼児洼の高台を選んだ。李逵は潤州へ戻る途中に毒がまわり死亡した。約束通り、宋江と同じ地に埋葬された。
 呉用は遠くはなれた武勝軍にて承宣使の任に就いていたが、夢に宋江と李逵が現れ毒殺された事をつげた。楚州へ駆けつけると、応天府兵馬都統制の花栄も同じ夢を見てやってきた。
 事実を知った二人は、いずれ災いがふりかかる事を恐れ、宋江に殉ずる道を選ぶ。宋江から受けた恩を語りつつ二人は蓼児洼を眺め自害した。呉用と花栄も同じ地に埋葬された。

 無念を訴える宋江は徽宗皇帝の夢にも現れた。李師師の元で夢の中、皇帝は梁山泊を訪れていた。三の関門をくぐって山を登り忠義堂で、死んだ宋江たちの無念聞かされ、一途な忠義心を受けとった。同じように宋江の夢を見た宿元景に真実を確かめさせ、高俅と楊戩の仕業だと知ると二人を叱る皇帝だが、蔡京と童貫にとりなされて、二人に罰は加えられなかった。
 毒酒を送った者がすでに死亡していたため、それ以上の追跡はなかった。宋清は官爵を受け継ぐ事を許されたが、病気を理由に断り平和な暮らしを選び、のちに男子をさずかり宋安平と名付けた。

 皇帝から忠烈義済霊応候に封ぜられた宋江。蓼児洼にて、たびたび霊験を表し民から堂を建てて祭りつづけられた。
 梁山泊には靖忠之廟が建てられた。祈れば風が吹き雨が降る。民は四季の祭りをかかさす事なく平和を願った。そしてさらに大き社殿を建て、百八体の神像を造って祭り続けた。

−完−


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