高昌寺の伽藍

山門

文化四年(1808年)の火災で難を免れたこの山門は、旧五城村中土地区の持宝院に建立されていたものと言われる。
第16世真猊香達和尚(1745〜1752年)の代に現在地に移築されたと伝えられている。
本門には釈尊が安置されており、均衡のとれた美しい形と重量感のあるこの山門は、近郷には珍しい建築物である。

山門は三門ともいわれ、東西南の三面に門を設け、これを総称したのが山門である。
空・無相・無願を解脱して寺内に入るものとされていた。

山門 山門2

山門の扁額には「転法輪」と書かれている。

山門と桜    


中雀門  

名ある武家屋敷の門を移築したものとも伝えられる。
清楚な構成の中に落ち着きと気品が漂い、天井には6枚の絵が組み込まれている。
山門と佛殿の中間に位置し、庫裡と僧堂を結ぶ廊下の中央に設けられる門と言われている。

 回廊

中雀門 回廊


佛殿と大雄殿

享保2年(1717年),14世鉄琴林髄和尚の時、建立されたが、火災のため焼失。
文化5年(1808年),23世興獄凡隆和尚によって再建されたものである。
ご本尊である聖観世音菩薩尊像を安置している。

大雄殿とは仏殿の意であり、この扁額は、大洲藩2代藩主加藤泰興公が揮毫し、再建した高昌寺に奉納したものである。

  
仏殿 扁額 楠木の板張り


選佛場(禅堂)

明和6年(1769年),20世吟蜂卓龍和尚によって建立されたが、文化4年(1807年)の火災によって焼失。
のちに23世興獄凡隆和尚によって再建され、現在は一部改装されている。

選佛場は、修行僧が坐床に起臥し、日夜坐禅弁通する道場で、雲水の集まる堂から雲堂ともいい、また将来の佛祖を選び出す道場ということから選佛場とも言われている。

 

選佛堂 選佛堂内



勧学寮

享保2年(1717年),14世鉄琴林髄和尚の時に建立したが、火災により焼失。
文化5年に興獄凡隆和尚によって再建されたものである。

勧学寮は、本寺を訪ねる修行僧や雲水達の修行道場であり、宿泊所としてかつては活用されていた。
現在では、年中行事において様々に活用されている。

勧学寮


鐘楼

この梵鐘は、40世高嶋玄岫和尚の昭和33年、檀信徒の浄財により高岡市鋳物氏、老子次右衛門氏鋳造によって完成奉納されたものである。
銘曰、「其音無窮、撞撞無礙、驚覚迷夢、聞聞自在、入大円通」。

大鐘をつる建物なので、鐘撞堂又は釣鐘堂とも呼ぶ。
種々の法会の合間に使う小鐘に対し、大鐘は晩鐘,斉鐘,昏鐘に撞き、一定の時間を一山大衆のみならず、広く一般に時間を知らせるために用いられたようである。

鐘楼

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