孝子桜

今から約390年前松山の山越えの里に桜の花の大変好きな吉平という老人がいた。
病にかかり明日の命もわかなぬという容態になった時吉兵は嘆き悲しみの中で今一度美しい
桜の花を見て、あの世に旅立ちたいと願っていたのを孝行息子が聞いて何とかして
年老いた父に桜の花を見てもらいたいと、一心不乱に樹下にて祈り続けていたら翌16日の朝
枝上に見事な桜の花が咲くのを見て病の父を慰めたという。
名づけて孝子桜(16日の初桜ともいう)
宝永3年正月17日殿様の命令によりて,松山市龍隠寺に保存されていたのを
明治時代に高昌寺35世が分植した。
太平洋戦争の松山空襲により松山龍隠寺の親木が枯死して名残を留めているのはこの木だけである。