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(1) 特殊相対性理論の中のお互い様の矛盾
相対性理論のうち、 力が働かない慣性系のみに限定したものが特殊相対性理論である。 この理論は 「
光源がどんな速度で移動していようとも、 放たれる光の速さは、 いかなる方向にも定数
である。 また、 光よりも速く移動する物質は存在しない。 」 という事実を公理とするが、 多くの信じられない結論を導き出す。 例えば、 地球から月に向かって光と光の速さのロケットが同時に放たれたとき、 地球上の人にとっては、 光とロケットは同時に月に到着するが、 ロケットの中の人にとっては、 まず先に光が、 向かって来る月に届く。 また、 「
高速で移動する物の時間はゆっくりと流れる。」 ので、 「 猿の惑星 」 のように、 宇宙旅行して地球に帰れば未来へ行ける。 また、 「
高速で移動する物は運動方向に収縮する。」 ので、 トンネルよりも長い列車がその中にすっぽりと入る。 また、 余命80年の花嫁が、 100光年離れた星へ行くことができる。 ただしそれは、 花嫁に対して高速移動している夫に対して静止している星であり、 夫にとっての100光年である。 ( その理由は、 夫にとっては
であり、 花嫁にとっては
である。)
「 光速は普遍・不変なので、 ロケットの中で進行方向に垂直に床から放たれた光が、 天井に達するまでの時間は、 ロケットの中の人の観察よりも地上にいる人の観察の方が、 ピタゴラスの三平方の定理のぶんだけ長くなる。」 ということが、 座標系によって時の流れのテンポが異なる理由である。 特殊相対性理論のシチュエーションは、 無重力真空空間で等速直線運動をしている物質たちだ。 引力は働かず、 衝突しても素通りするものとする。 異なる速度で等速直線運動する2人は、 お互いに自分の方が静止しているとする。 「 相対性 」 とは、 移動は対称的なもので 「 お互い様 」 であるということと、 「 自分からも含めて、 誰から見られているのか? 」 を常に意識せよということのようだ。 今、 A氏は置時計A と同じ速度 ( 方向と速さが同じ ) で移動している。 2つはピンと張った巻尺で結ばれている。 また、 B氏は置時計B と同じ速度で移動している。 2つはピンと張った巻尺で結ばれている。 A氏とB氏は異なる速度で相対的に等速直線運動している。 彼らは、 ある条件下で、 お互いの座標系の空間や時間を比較することができる。 それは、 まずA氏が置時計B に衝突した後にB氏に衝突した瞬間であり、 その瞬間に、 2つの置時計も衝突し、 かつ、 2人の座標軸がピッタリ重なる場合である。 この瞬間を瞬間Qとする。 その後まもなくB氏と置時計A が衝突するが、その瞬間を瞬間Rとする。 瞬間Qから瞬間Rの間に、 A氏もB氏も1回転したとする。
「
自分の座標系では、 どんな場所も同時刻だが、 相手の座標系を見た場合にはそうはならない。」 というのが、 相対性理論の第1の基礎定理である。 そして、 相手の時計は、 相手の運動方向に対して相手よりも前方にあるときは遅れており、 相手よりも後方にあるときは進んでいる。 また、 相手の時計の存在する位置が観察者から運動方向に遠ければ遠いほど、 時刻の差は大きくなる。 ( 「 進む・遅れる 」 はテンポのことではなく、 また、 時計が狂っているわけでもない。) また、 相対性理論は、 時間を虚数と考え、 それに
をかけたものを座標軸の1つとし、 空間と同様に取り扱う。 この4次元時空間を、 それぞれの観察者が独自に持っており、 2人がそれを比べると、 それぞれ、 相手の空間は移動方向に収縮し、 相手の時間は拡張している。 そして、 「
座標変換にて、 4次元時空間距離は変化しない。」 というのが、 第2の基礎定理である。
は
から導かれ、
は
から導かれる 「 ローレンツ変換 」 より導かれる。 つまり、 特殊相対性理論の基礎定理は、 「 ローレンツ変換 」 によって表される。

w : Watch c : Clock
瞬間Qについて考える。 まず、 A氏の立場で見てみる。 つまり、 私はA氏の体内に侵入し彼の眼窩から一時停止させた外の世界を覗き見る。
静止しているとみなされるA氏の腕時計 と 静止しているとみなされる置時計A と 移動しているとみなされるB氏の腕時計は、 同じ時刻を示しているが、 移動しているとみなされる置時計B は、 これらの時計よりも進んでいる。
移動しているとみなされるB氏 と 移動しているとみなされる置時計B とを結ぶ巻尺の目盛の間隔は、 静止しているとみなされるA氏 と 静止しているとみなされる置時計A とを結ぶ巻尺の目盛の間隔よりも狭くなっている。 これは 「 ローレンツ収縮 」 と言われ、 「 ローレンツ変換 」 より導かれる。 ということは、 「 A氏の当事者的な主観的観察による、 置時計A の、 静止しているとみなされるA氏に対する、 距離 ( A氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 と 「 A氏の第3者的な主観的観察による、 置時計B の、 移動しているとみなされるB氏に対する、 距離 ( A氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 とは等しいが、 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 置時計B の、 静止しているとみなされるB氏に対する、 距離 ( A氏が見るB氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 は、 それらよりも長いということである。
* コメント:
当事者的な観察 : 観察の対象になる物質は静止している。
第3者的な観察 : 観察の対象になる物質は移動している。
主観的観察 : 観察者に対して静止している物差しや時計を用いての観察。
客観的観察 : 観察者が見る、 観察の対象になる物質が携帯している物差
しや時計を用いての観察。
次に、 B氏の立場で見てみる。
静止しているとみなされるB氏の腕時計 と 静止しているとみなされる置時計B と 移動しているとみなされるA氏の腕時計は、 同じ時刻を示しているが、 移動しているとみなされる置時計A は、 これらの時計よりも遅れている。
移動しているとみなされるA氏 と 移動しているとみなされる置時計A とを結ぶ巻尺の目盛の間隔は、 静止しているとみなされるB氏 と 静止しているとみなされる置時計B とを結ぶ巻尺の目盛の間隔よりも狭くなっている、 ということは、 「 B氏の当事者的な主観的観察による、 置時計B の、 静止しているとみなされるB氏に対する、 距離 ( B氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 と 「 B氏の第3者的な主観的観察による、 置時計A の、 移動しているとみなされるA氏に対する、 距離 ( B氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 とは等しいが、 「 B氏の当事者的な客観的観察による、 置時計A の、 静止しているとみなされるA氏に対する、 距離 ( B氏が見るA氏に結ばれた巻尺を用いて測定 )」 は、 それらよりも長いということである。
2人の見解をまとめてみる。 この場合、 A氏とB氏の運動は 「 対称 」 ではない。 なぜなら、 A氏は置時計B から遠ざかっているが、 B氏は置時計A に近づいているからだ。 2人にとって、 置時計B は置時計A より進んでいる。 これはまあ良いとして、 問題は次のことだ。
「
お互いに、 当事者な主観的観察による、 静止しているとみなされる自分と置時計との距離 と 第3者的な主観的観察による、 移動しているとみなされる相手と置時計との距離 とは等しいが、 それらよりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手と置時計との距離の方が長い。」 ということになる。 そして、 この後の論理展開は大きく2つに分かれていく。
1つ目は定説である。 それは、 「 第3者的な主観的観察 」 を認めながら、 相手と相手の置時計との距離のみに注目していく方法である。 よって、 「 お互いに、 第3者的な主観的観察による、 移動しているとみなされる相手と置時計との距離 よりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手と置時計との距離 の方が長い。」 ということになり、 「
高速で移動する物は運動方向に収縮する。」 ということになる。 すると、 「 一見、 俺と俺の置時計との距離 と お前とお前の置時計との距離 とは等しいように見えるけれども、 本当は、 俺と俺の置時計との距離よりも、 お前とお前の置時計との距離のほうが長いんだ!」 とお互いが言い争うことになり、 変である。 これは 「 お互い様の矛盾 」 である。
2つ目は、 「 第3者的な主観的観察 」 をニュートン力学的観察であるとして否定しながら、 自分と自分の置時計との距離 と 相手と相手の置時計との距離 とを比較していく方法である。 よって、 「 お互いに、 当事者な主観的観察による、 静止しているとみなされる自分と置時計との距離よりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手と置時計との距離の方が長い。」 ということになる。 これも 「 お互い様の矛盾 」 である。 そこで、 結局、 「 自分のことに関する観察のみが現実的なもので、 相手のことに関する観察はみかけ上のものでしかない。」 と結論づけてしまう。 これは 「 移動物質錯覚的観察説 」 と言っていいかもしれない。
では、 今度は衝突に注目してみよう。 まず、 A氏の立場で見てみる。 「 A氏の当事者的な主観的観察による、 B氏が、 静止しているとみなされるA氏に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏の腕時計を用いて測定 )」 と 「 A氏の当事者的な主観的観察による、 置時計B が、 静止しているとみなされる置時計A に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏の腕時計を用いて測定 )」 は等しく、 また、 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 A氏が、 静止しているとみなされるB氏に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏が見るB氏の腕時計を用いて測定 )」 と 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 置時計A が、 静止しているとみなされる置時計B に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏が見るB氏の腕時計を用いて測定 )」 も等しい。 しかし、 置時計B を人格化してその当事者に立って客観的観察をした場合は、 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 A氏が、 静止しているとみなされるB氏に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏が見るB氏の腕時計を用いて測定 )」 と 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 置時計A が、 静止しているとみなされる置時計B に対して、 衝突してくる時刻 ( A氏が見る置時計B を用いて測定 )」 とは異なる。 ということは、 「 A氏の当事者的な主観的観察による、 A氏にとっては、 2人の衝突と2つの置時計の衝突は同時に起こるが、 A氏のそれぞれの当事者的な客観的観察による、 B氏と置時計B にとっては、 2人の衝突と2つの置時計の衝突は同時には起こらない。」 ということである。
次に、 B氏の立場で見る。 運動の対称性より、 上記の A と B とを入れ替えた結論になる。
2人の見解をまとめると、 「 当事者的な主観的観察 や 単独の当事者的な客観的観察 では、 2つの衝突事件は同時に発生するが、 複数の当事者の立場に立った客観的観察によれば、 2つの衝突事件は異なる時刻に発生する。」 ことになる。 これは 「 同時刻の相対性 」 と言われる。 移動・静止 は相対的なものであるから、 2人の観察者たちは、 お互いに 「 相手が何と言おうと、 自分にとっては2つの衝突事件は間違いなく同時である。」 と言い争うことになる。 これも 「 お互い様の矛盾 」 である。

次に、 瞬間Rについて考える。 まず、 A氏の立場で見てみる。 静止しているとみなされるA氏の腕時計 と 静止しているとみなされる置時計A とは同じ時刻を示しているが、 移動しているとみなされるB氏の腕時計は、 それらに比べて遅れている。 その理由は、 「
高速で移動する物の時間はゆっくりと流れる。」 から。 瞬間Qには、 A氏の腕時計 と B氏の腕時計 とは同じ時刻を示していたのに。 ということは、 「 A氏の当事者な主観的観察による、 静止しているとみなされるA氏が1回転する時間 ( A氏の腕時計を用いて測定 )」 と 「 A氏の第3者的な主観的観察による、 移動しているとみなされるB氏が1回転する時間 ( A氏の腕時計を用いて測定 )」 とは等しいが、 「 A氏の当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされるB氏が1回転する時間 ( A氏が見るB氏の腕時計を用いて測定 )」 は、 それらよりも短いということである。
次に、 B氏の立場で見る。 運動の対称性より、 上記の A と B とを入れ替えた結論になる。
2人の見解をまとめてみると、 「 お互いに、 当事者な主観的観察による、 静止しているとみなされる自分が1回転する時間 と、 第3者的な主観的観察による、 移動しているとみなされる相手が1回転する時間 とは等しいが、 それらよりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手が1回転する時間の方が短い。」 ということになる。 そして、 この後の論理展開は大きく2つに分かれていく。
1つ目は定説である。 それは、 「 第3者的な主観的観察 」 を認めながら、 相手の回転時間のみに注目していく方法である。 よって、 「 お互いに、 第3者的な主観的観察による、 移動しているとみなされる相手が1回転する時間 よりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手が1回転する時間の方が短い。」 ということになり、 「 回転している物質が高速で移動し始めると、 回転スピードは遅くなる。」 ということになる。 すると、 「 一見、 俺の回転スピード と お前の回転スピード とは等しいように見えるけれども、 本当は、 俺の回転スピードよりも、 お前の回転スピードのほうが速いんだ! 」 とお互いが言い争って、 「 じゃあ、 2人の相対的移動を無くした上で、 回転スピードを比べてみようじゃないか。 ( そうすると、 相手の回転スピードは変化してしまう。)」 ということになり、 変である。 これは 「 お互い様の矛盾 」 である。
2つ目は、 「 第3者的な主観的観察 」 をニュートン力学的観察であるとして否定しながら、 自分の回転時間 と 相手の回転時間 とを比較していく方法である。 よって、 「 お互いに、 当事者な主観的観察による、 静止しているとみなされる自分が1回転する時間よりも、 当事者的な客観的観察による、 静止しているとみなされる相手が1回転する時間の方が短い。」 ということになる。 これも 「 お互い様の矛盾 」 である。
これらの2つの理論展開は異なるが、 「 お互い様の矛盾 」 を導いているのが、 「 当事者的な客観的観察による相手 」 を得ようとする 「 ローレンツ変換 」 であることは同じである。 そこで、 結局、 「 『 自分についての当事者的な主観的観察 』 のみが現実的なもので、 『 相手についての第3者的な主観的観察 』 や 『 相手についての当事者的な客観的観察 』 はみかけ上のものでしかない。」 と結論づけてしまう。 これは 「 移動物質錯覚的観察説 」 である。
しかし、 この 「 移動物質錯覚的観察説 」 は、
を実証している 「 ミュー粒子寿命延長 ( 地上に届くはずの無い宇宙の短命な粒子が、 崩壊せずに届いている。)」 という事実を否定することになるので、 今日の相対性理論によって一刀両断にされる。
そこで、 瞬間Qに起こった出来事が、 どう認知されるのか考えてみる。 瞬間Qに、 置時計A と置時計B が光ったとする。 その光は、 時計が光った時刻の情報を持つ。 いつA氏が置時計A の光を見て、 いつB氏が置時計B の光を見るのか、 考える。 まず、 A氏の立場で見てみる。 静止しているとみなされるA氏が静止しているとみなされる置時計A の光を見る前に、 移動しているとみなされるB氏は移動しているとみなされる置時計B の光を見る。 なぜなら、 移動しているとみなされるB氏は静止しているとみなされる置時計A に近づいているからだ。 ニュートン力学的な第3者的な主観的観察の結果は確かにそうなのだが、 相対論的な当事者的な客観的観察では、
による光伝達時間増大 と
による光伝達時間減少 とが相殺し、 「
A氏の当事者的な主観的観察による、 置時計A の光が、 静止しているとみなされるA氏に衝突してくる、 時刻 ( A氏の腕時計を用いて測定 ) 」 と 「
A氏の当事者的な客観的観察による、 置時計B の光が、 静止しているとみなされるB氏に衝突してくる、 時刻 ( A氏が見るB氏の腕時計を用いて測定 ) 」 は等しくなっている。 ただし、 置時計が光った時刻は、 前者よりも後者の方が先になっている。
次に、 B氏の立場で見る。 静止しているとみなされるB氏が静止しているとみなされる置時計B の光を見た後に、 移動しているとみなされるA氏は移動しているとみなされる置時計A の光を見る。 なぜなら、 移動しているとみなされるA氏は静止しているとみなされる置時計B から遠ざかっているからだ。 ニュートン力学的な第3者的な主観的観察の結果は確かにそうなのだが、 相対論的な当事者的な客観的観察では、
による光伝達時間増大 と
による光伝達時間減少 とが相殺し、 「
B氏の当事者的な主観的観察による、 置時計B の光が、 静止しているとみなされるB氏に衝突してくる、 時刻 ( B氏の腕時計を用いて測定 ) 」 と 「
B氏の当事者的な客観的観察による、 置時計A の光が、 静止しているとみなされるA氏に衝突してくる、 時刻 ( B氏が見るA氏の腕時計を用いて測定 ) 」 とは等しくなっている。 ただし、 置時計が光った時刻は、 前者よりも後者の方が後になっている。
2人の見解をまとめてみる。 移動の対称性より、 

である。 また、 「
A氏の当事者的な主観的観察によるA氏と、 B氏の当事者的な主観的観察によるB氏とは、 同時にそれぞれの置時計が光るのを見る。 そして、 彼らの認知する置時計が光る時刻は、 等しい。」 ことになる。 一方、 「
B氏の当事者的な客観的観察によるA氏と、 A氏の当事者的な客観的観察によるB氏とは、 同時にそれぞれの置時計が光るのを見る。 しかし、 彼らの認知する置時計が光る時刻は、 A氏が認知する置時計A の方が、 B氏が認知する置時計B よりも遅い。」 ことになる。
と
より、 「 それぞれの置時計が光るのを、 2人が同時に認知するのは間違いない。 しかし、 当事者的な主観的観察による2人の認知として見れば、 置時計は同時刻に光り、 当事者的な客観的観察による2人の認知として見れば、 置時計は異なる時刻に光る。」 ことになる。 これは 「 お互い様の矛盾 」 とは違う 「 主観的認知 と 客観的認知 との矛盾 」 である。
私は、 「 当事者的な客観的観察 」 は 相対論的な正しい観察であるが、 「 第3者的な主観的観察 」 はニュートン力学的な観察であり、 間違いであると思う。 今日の相対性理論は 「 第3者的な主観的観察 」 を否定しているようで否定しきっていない。 しかし、 もしそれを完全に否定しきったとしてもなお、 相対性理論は 「 お互い様の矛盾 」 をかかえる。 つまり、 「 当事者的な主観的観察による自分 」 と 「 当事者的な客観的観察による相手 」 とを比較すると、 「 A<B かつ A>B 」 になるのだ。
「 A氏による、 A氏についての、 当事者的な主観的観察 」 と 「 B氏による、 B氏についての、 当事者的な主観的観察 」 との比較 や、 「 ローレンツ変換前の、 A氏による、 B氏についての、 第3者的な主観的観察 」 と 「 ローレンツ変換前の、 B氏による、 A氏についての、 第3者的な主観的観察 」 との比較 や、 「 ローレンツ変換後の、 A氏による、 B氏についての、 当事者的な客観的観察 」 と 「 ローレンツ変換後の、 B氏による、 A氏についての、 当事者的な客観的観察 」 との比較 に、 「 お互い様の矛盾 」 はない。 「 第3者的な主観的観察 」 を否定しきった後にも残る 「 お互い様の矛盾 」 とは、 { 「 A氏による、 A氏についての、 当事者的な主観的観察 」 と 「 ローレンツ変換後の、 A氏による、 B氏についての、 当事者的な客観的観察 」 との比較 } と { 「 B氏による、 B氏についての、 当事者的な主観的観察 」 と 「 ローレンツ変換後の、 B氏による、 A氏についての、 当事者的な客観的観察 」 との比較 } との比較である。
本来の 「 相対的 」 の意味は、 次のようなものである。 これらの中には 「 お互い様の矛盾 」 はない。
例1 : A<B<C のとき
ア. C>B>A である。
イ. A と B とを比べて 「 Bは絶対的に大きい。」 と言うのは間違いだ。
例2 : A君にとってBさんが東に向かって速さ
で等速直線運動しているとき、
ア. BさんにとってA君は西に向かって速さ
で等速直線運動している。
イ. A君が絶対的に静止しているとは言えない。
「 お互い様の矛盾 」 を解明してくれるキーワードは、 「 ローレンツ変換 」 が不変なものとする 「 4次元時空間距離 ( 固有時間 ) 」 のような気がする。
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